まだ祖母と一緒にに暮らしていたころ、だから大学に入るまでの間のこと。
祖母が何かのおりに、 「苦の娑婆やな。」 と、寂しそうに、つぶやくように言うのを何度か聞いた。 私が知らない時期はいざ知らず、その頃の祖母は、すべての子がちゃんと大人になり、それぞれがみんな子どもをもって、たくさんの孫がいた。その孫たちも、私といとこの一人が少し多動気味なのと、時々おばたちがそれぞれの夫と犬も食わない夫婦喧嘩をする程度で、孫、子はみんな幸せに暮らしていた。 祖母の夫である祖父も、とっくに女癖はやみ、いつも楽しそうな「おじいさん」になっていた。 そして祖母も、多くの時間を笑顔で過ごす「おばあさん」だった。 だから、祖母のあの言葉は、私には不可思議なものだった。 この前、友人が、 「仕事とはいえ、人の不幸に立ち会うことが多いのに疲れてきたな。」 とつぶやいた。 そのとき私は、あの祖母の言葉をありありと思い出した。 私が学校から帰ってくると、祖母のもとには近所の同年輩の女の人たちがよくきていた。祖母は、愚痴なのか、悩みごとなのか、その人たちの話を聞いていた。 テレビのニュースもよく見ていた。 祖母には学があったわけではないので、政治的なことや社会的な問題については詳しくわからなかっただろう。けれども、世の中につらくて苦しいことが山ほどあるということを知っていた。 私はあの祖母の言葉の意味が、少しわかったような気がしてきた。 今、私には特に悩まなければならないことは、ない。体調がよくないときだって、そんなもので悩んでいたわけではない。 でも、今の世界の状況は、決して威張って次世代に誇れるものではなく、日本にも、世界にも不幸がたくさんあって、自分はさておき、こんな世の中でわが子やまだ見ぬ孫は幸せに暮らしていけるだろうか、とふと思う。 世の中の不幸について、直に苦しいのではなくて、あんなことが自分の子孫におこったらと考えると空恐ろしくなることがある。実にエゴイスティックな不安である。 祖母は、そんな思いを抱いたときに、自分をなだめるために、あの仏教から学んだ言葉をつぶやいたのかもしれない。 いつかまたちがった思いを持つかもしれないが、祖母の心を少し知ったような気がして、書き残しておきたかった。
by mayumi-senba
| 2009-11-02 20:22
| 世間のこと
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