夫婦の姓については、私は選択的夫婦別姓がよろしかろうと考えている。
ここで興味深い議論がなされており、聞いていただければと思う。 一方、長谷川三千子氏は、「夫婦別姓」と「夫婦同氏」という東アジアの伝統的家族モデルの2つの類型を提示し、日本は「いっしょに暮らす夫婦や子をひとつの氏」でまとめる「夫婦同氏」システムを採用してきた社会であると解説し、この2つが混ざり合う選択的夫婦別姓案には問題があると主張する。また、混合があり得ないとすれば、どちらかを選ばなければならず、その場合は、日本には夫婦同氏の方が適していると説く。 私はここについてだけ論じたい。 氏と姓と苗字 江戸期時代は、8割から9割がたの日本人は苗字を持たず、「何々村の何べえ」などと呼ばれていたはず。私には、この事実だけで長谷川三千子氏の主張は説得力を持たないと思われる。 伝統というのであれば、夫婦同姓者が2割ほどいれば、伝統は守られたことになるではないか。律令制の時代にまで遡ればまた違うかもしれないが、江戸時代の伝統はなぜいけないのか。 夫婦同姓の伝統をもっていようといまいと、そうするのが自分達に適していると思うならばそうすればよい。 夫婦別姓でもよいのならば、そもそも苗字(現代の姓)をみんなが持つ必要はないではないかというという話になるが、江戸時代に比べ、人の数と移動距離は格段に増加し、同名が増えややこしい。 私の住む町に、真弓という名前の人は、少なくとも3人はいるし、職場にも一人いる。 苗字と名前という二つの記号を持つことは、識別に格別の威力を発揮する。 選択的夫婦別姓論者は、他人が同姓だろうと別姓だろうと、気にならない。自分の困難を取り除きたいだけだからだ。 夫婦同姓論者はなぜかくも他人の生き方にクチを出したがるのだろう。 #
by mayumi-senba
| 2007-12-09 02:46
| 世間のこと
息子が生まれてから、もちろん息子の幸せが最も大きな願いとなったが、理屈でいえば「この子一人の幸せ」というのはありえないことだし、もっと生物学的な欲求と思われるような強さで、息子の友達や、もう少し広く言えば、息子と同世代の子たちに対する愛情がわいてくるのを、私は自然なこととして受け入れていた。
昨日、少し用があって、敬愛する年長の友人と会い、用事はそこそこに長時間にわたって話し込んだ。 彼女は有能な経営者であり、いつ話しても深く心に染み入るような言葉が出てくるひとで、それはむしろきれいごとだけではすまない世界に生きているからこそ磨かれるものかもしれないと思われた。 そんな彼女が自分より下の世代に、広く愛情を感じているということ言った。 彼女の行動や、感動は、それを裏打ちしている。 帰宅してからその言葉が反芻され、涙が出てくる。 #
by mayumi-senba
| 2007-11-18 13:55
| 世間のこと
父が逝った。
「お前にはしんどい生き方をさせてしまって、すまないと思っている。」 と、死の宣告をされる直前の電話で私に言った。 女としては、いつもつらい生き方を選ぶ娘だと、父には映っていたのだろうか。 男の子がほしかった父は、私に男の子のおもちゃを与え、男の子とけんかをしては負かしてくることを喜び、男の子たちと野球をするとすぐにグローブを買ってくれた。 叱られてないていると、泣くな、とまた叱られたせいか、私はめったに泣かない子になった。 「お前にちんちんがあったらな・・・。」 と、父はよく言っていた。 そういわれたからといって、私には男の子でないと困る事情はなかったので、特段の不満はなかった。立ったままオシッコをすることは、さほどうらやむことではなかったし。 女の子なのに男の子のように遊んでいる、ただそれだけのことだった。 年頃になったころには、それなりに恋もしたし、男だったらよかったのにと思うことはなかったように思う。 働きながら子どもを育て、いつも忙しそうにしている私は、父には不幸せな女に見えたのだろうか。 欠点だらけでも、私は私が大好きだし、こんな風に育ててくれたことをずっと感謝しているのに、ちっとも伝わってなかったのだろうか。 それなら私は、やっぱりとんだ親不孝娘だ。 #
by mayumi-senba
| 2007-11-11 22:04
| 自分のこと
9月3日20時44分配信 読売新聞 驚いた・・。 弁護士は、依頼人の利益になると考える行動をとらなければならないと理解している。 報道のとおりなら、殺意がなかったことの根拠として弁護団が主張していることは確かに受け入れがたい。 安田好弘は「加害者が本村弥生さんを殺害したことについて、亡くした母に甘えようとしたら騒がれたので、静かにさせようとして首を絞めたら死んだと傷害致死を主張した。その上、被害者を死姦したことについて、自分の精子を体内に入れ込むことで加害者は被害者を生き返らせようとした。と弁護した。 私だって自分の家族が殺されたなら、もうそれだけで加害者を殺してやりたい。絞首刑などというなまっちょろい殺し方では気がすまないだろう。 謝罪があろうが何があろうが、もうそんなことは関係ないくらいだろう。殺害にいたった動機など、何を言っても怒りが少しでも静まろうはずがない。 だから、私が被害者の家族という立場になった時には、何を言うか、するかわからないと思ってほしい。逆上しながらも、ああいえばこういい、筋の通ったようなことも言うだろう。 しかし冷静な判断はできない状態なのだ。 そんな心情を、十分理解した上で、社会を健全に回していく知恵を働かせてほしい。 そして、かつ、私も救ってほしい。ありとあらゆる方法で救ってほしい。 しかし、 一部の国民からの懲戒請求によって、裁判での弁護で懲戒を受けるようなことがあったら、弁護士の弁護が萎縮する。それはやはり、数ある冤罪事件や、繰り返される国策捜査などに巻き込まれたときの、対抗手段を自ら奪うことになりかねない。いや、なる。 それは今の医療を見ればわかる。医師は現場から撤退しているのだ。 それに、今の日本の捜査方法は、国際標準から大きく遅れている。沖縄での米兵による犯罪捜査ができないことを、世界に向けて大きくアピールできない理由はそこにある。 橋下弁護士の発言は、被害者の家族や近しい人たちから出たものならば、わかる。 「お気持ちは察する。」 と、頭を垂れるしかない。 しかし橋下氏は弁護士である。広い視野で物事を見ながら、しかし、弁護士に与えられた仕事を守るべきではないのか。 彼が「懲戒勧告を」と呼びかけるのは勝手だが、彼の言動を批判するのも勝手なので、批判しておく。 #
by mayumi-senba
| 2007-09-03 23:22
| 世間のこと
誤解を恐れずに書いてみようと思う。
「片親に育てられた子はいかん。」 と祖母が言っていた。その祖母は、母を早くなくし、父親に育てられた。 祖父の両親には、まさしくそのために結婚を反対され、跡取り息子であった祖父は一時勘当されたのだった。 私は、祖母自らをまで含めた属性に対する差別的な発言に、ずっと引っかかっていた。 いま、祖母が言いたかったことがわかる。 もちろん、 「片親に育てられた子はいかん。」 と思っているわけではない。 子どもが育つ上で欠かせないことのひとつに、大人と同じ空気を吸い、大人同士の関係のとり方を学び、問題を処理解決していくさまざまな方法を観察する機会を、できるだけ多く持つということがあげられる。 子どもには、大人から受ける愛情の土台の上にこれが不可欠だと思うのだ。 祖母は、片親であるということでこの点においてハンディがある、と言いたかったのだと思う。 私もそんな気がする。そして、大人がしなければならないことがわかるのだ。 子ども同士で遊ぶことも大切だけれど、わが子もよその子もひっくるめて、大人の輪の中に引っ張り込んで大人を観察させる時間を持つことだ。 子ども会やPTAはその意味で大切だ。 参加しなかった私が言うのも変だけれど、 「PTAの三役(会長、副会長、書記)は、会員に不始末がないように、地域の人に対して責任があるんですよ。」 と、膝から脱力するようなことを言った人がいたが、それは焦点があさっての方向と言うのだ。 会社かなにかと勘違いしてはいけない。 その組織は、何のためにあり、その役職は何に対してどんな責任と権限があるのか、少なくともそこだけは押さえられなければ、役に立つどころか害となる。 それさえおさえれば、いろんな大人がいろいろやればいいのだと思う。失敗をして、それをどう取り返すのか、再発を防ぐのか。おとなにも、どの程度のことを「大きなこと」と感じるかにどれほどのバリエイションがあるか。他、いろいろ。 見せておいてあげたいものだ。 #
by mayumi-senba
| 2007-08-27 23:29
| 世間のこと
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